自己嫌悪を感じても落ち込む必要はない、できない自分が本当の自分だから。



スポンサーリンク

「本来ならば、どちらの結果でも満足するべきなのだ。」

何をいきなりですね笑

FightingDogでございます 🙂

自己嫌悪というものを感じる方はきっと多いと思います。

ぼくも、頭でやろうと決めたことを実際には全くできないことで自己嫌悪を何度も何度も感じてきました。

その自己嫌悪について、ぼくなりの考えを書いていこうと思います。


スポンサーリンク

自己嫌悪とは

まぁ読んで字の如く、自分が嫌になることですね。

ぼくの場合で言うならば、「なんで今日2時間練習しなかったんだよ!」ってな感じです。
いつもいつも、やっていない現実を肌で感じた後に、この自己嫌悪というものは襲ってきます。
後悔に似ていますね、まったく嫌なものです笑


スポンサーリンク

なぜ自己嫌悪を感じてしまうのか?

答えは、「理想の自分」と「現実の自分」とのギャップです。
頭の中の「スーパーできる自分」が理想の自分で、「できなかった自分」が現実の自分ということです。

この理想と現実の差で人は自己嫌悪を感じるのだと思います。

学生の頃のテスト週間を思いだす

例えば、学生の頃は中間テストや期末テストがありました。
その時期になると、部活はストップし、学校も早く終わり、まさに勉強する時間を与えられます。
時間は十分にあります。
いりませんけど笑

で、テストのスケジュールを見ながら、計画なんかを組むのかと思います。

計画を立てる時は楽しかったりするんですよね〜。

で、実際に蓋を空けた時、それを計画通りに進めている人がいます。
一方で、何故かいつもはしない掃除から始めて、一息ついた後、机に座ったはいいものの、とりあえず漫画を手に取る人もいるわけです。

これは全部、逃避行動なので掃除しても勉強に繋がる確立は少ないですし、漫画を読んだらそのまま最終巻まで読んでしまうでしょう。

そうして、1日が終わり、何もやってない自分に気付き自己嫌悪を感じます。

さらにそのサイクルで進んでいき、返ってきた自分の答案を見て自己嫌悪に陥ります。

しかし本来ならば自己嫌悪を感じる必要なんてないのです。

計画通りにやった人には、「やった結果」が、やれなかった人には「やれなかった結果」がでるのです。

その結果に満足すればいいのです。

しかし、何故かやれなかった人はその結果に満足しません。

(やれた人でも満足できない方はいると思いますが。)

「なんで、おれはもっと早く勉強に取りかからなかった?」や「漫画読まなかったらよかった…」と思うわけです。

そうして、興奮冷めやらぬまま、「今日からおれは勉強するぞ!」と思い立ちます。
が、部活をして帰れば、疲れて寝てしまうのです。

そこでまた、自己嫌悪を感じるかもしれませんね。
まさに自己嫌悪のスパイラルでございます。


スポンサーリンク

自己嫌悪に陥る必要などない

自己嫌悪を感じている間は、いっこうに変わらないし、改善されません。
先程、書きましたが自己嫌悪は「理想の自分」と「現実の自分」のギャップから生まれます。

つまり、自分を「何でもできる人だ」と評価しているから、自己嫌悪に陥るのです。

しかし、これは間違いで、「できなかった自分」こそがありのままの自分なのです。
「できない自分こそが嘘偽りない自分」なんです。

本当の自分というわけです。

「やろうと気合いを入れさえすれば、やれる人なんじゃなかった」ということです。

まずはこれを認めることなんです。
キツいし、嫌だと思いますが…

しかし、これを認めず、理想の中で生きてしまうと、ずーっとそのままです。

「自分はできるやつだ」という呪文

ぼくは、ある時期バスケットにもの凄く熱中していました。
そしてある時期、ギターの練習をもの凄くしました。

まわりから見れば、大変な努力家に映ったと思います。

しかし、これは単にぼくがその物事にハマっていただけで、努力ではありませんでした。
遊んでただけです笑

しかし、ぼくはその経験をしてきたが故に、自分を「努力できる人間」と評価してしまいました。
何年も何年もそうしてきました。

「おかしいぞ?」と思い始めたのは、ジャズを学ぼうと思った辺りからでした。
自分のロックギターの中に、ジャズの要素を取り入れたいなんて思ったのです。

で、実際に自分で勉強したり、習ったりもしました。

しかし、これが全く練習できません。

ジャズは好きですし、学びたい気持ちもあるのに、練習がとんでもなくつまらない…
ジャズは難しかったですし、成果も中々感じられなかった。
きっといい方法を知っていればまた違っていたのかもしれませんけどね。

とにかくできなかった。

仕事の時ふと「今日は帰ったらあれを練習してみよう」なんて心が踊る時が何度もありました。

しかし、帰ったらギターにも触りません笑
おもしろいものです…

いつの間にか、自分の大好きなロックギターまでヘタクソになってました。

そして、毎日が自己嫌悪でした。
朝起きては、昨日の自分に。
仕事の時間が近づき、練習時間が無くなっていることに落ち込んでいました。

しかし、改善はされませんでした。

これはひとえに自分を「努力できるやつ」だと思っていたからです。
ずーっとその呪文にかかってたんです。

ぼくは努力できる人なんかではなく、現実には「怠惰でほかっておけば、何もやらない人」だったわけです笑

これがぼくの「ありのまま」です。

バスケやギターにハマって何時間も明け暮れることができたのは、周りのおかげなんです。
その頃で言えば、親のおかげなんです。

親が自分の身の回りのことを全部してくれたから、ぼくは不安も心配事も感じず、それに打ち込むことができたんです。

ただ、それが無くなった時、ぼくは「できない人」になりました。

ですが、呪文にかかっていたので、本当の自分が分からなかったのです。

だから、自己嫌悪に陥ってばかりいた。

自己嫌悪は一種の酔いでもある

自己嫌悪は、落ち込んでキツいのですが、一種の酔いでもあります。
自分で、落ち込んでおいて、良い落としどこに持っていくのです。
すると、一応落ち込んだということで気持ちが回復するんです。
しかし現実は変わりません。

ありのままの自分を知って、はじめて成長の一歩が踏み出せるのだと思います。

「さてどうする?」といったところです。


スポンサーリンク

最後に

やれない自分は、ありのままの自分なので、別に落ち込む必要はないんです。

だってそれが自分だから。

そこから初めて歩いていけばいいんです。

それでも、そんな自分を認めたくなくて自己嫌悪してしまうのならば、それはもうやるしかないのでしょう。

あ、そうそう、ぼくは「逃避行動を本題に充てる」というトリッキーなことを思い付きましたが、もし結果がでたら報告します笑

スポンサーリンク







コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


ABOUTこの記事をかいた人

FightingDog

筆者:FightingDog 楽器:エレキ、アコースティック、ベース、DTM 過去:ギター講師(歴6年) 現在:YouTubeでギター動画をUPしております。2017年は、主に教則系の動画を沢山作っております。 近いうちにレッスン始めます。