努力というマボロシに踊らされる人



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努力というマボロシ

この考え方は賛否両論あると思うけど、書いてみる。

努力という言葉に振り回されている人は多いと思う。
かく言うぼくも、そのうちの1人。



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最初にぼくの考えを言うと、

努力というものは存在しないのである。

このブログにも何度か似たようなことは書いてきたと思う。

ぼくは、ここ最近で努力っていうのは、やはりマボロシだなと思うことが増えました。

これは、「人が作り出した人を縛る言葉」である。

まず前提にぼくの経験上、

人はどうしてもやりたいことは何があってもやる

ということがある。

ぼくはこの間どうしてもしたいことがあった。
ただ、そこにはリスクがあることもわかっていた。

「これをしたいのだが、実行すれば、こうなってしまうかも…」

みたいな。

だけど、ぼくはどうしてもしたかったので、それをやるという行動をとった。

その時、再確認したのです。

心からやりたいことは、何があっても取りにいくのだということを。

みなさんも、そうではないだろうか?
心から、やりたいことって何よりも優先してしまいませんか?

人を惑わすものに、この「やりたい」いう気持ち(欲)がある。

だけど、多くのやりたいことは思っただけであり、
実は心のそこからやりたいとは思ってないのである。

自分を突き動かさないのだ。

しかし、自分でそれに気づくのは中々に困難。

気づくことなく、始めたはいいが続かなかったりする。

そういったことが続くと…

なぜやりたいと思ってたことなのに続かないんだ、やれないんだって敗北感を味わっていくのです。

で、いつしかやらなくなっていくと。

三日坊主なんて言葉があるけど、きっとカラクリはそんな感じなんだと思う。

みんな、最初はやってみるんですよね。
新鮮という武器があるからね。
だけど、一回やってみたら、2回目がシンドイんですよ。

それは、毎日飽きもせず、寝っ転がってスマホ見てる楽しさよりも劣るんですよね。
これは現実なんです。

もし、スマホよりもやりたいと心から思っているなら、それをやりますから。

これは現実なんです。
マボロシではないんです。


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努力という言葉

では、努力という言葉に戻ります。

例えば、

「毎日、寝っ転がってスマホ見てることこそが努力している」

となります。

まぁスマホ見てる本人は、それを努力とは思いません。
したいからしてるだけでしょう。

ですが、他人はそんなスマホ人を見て、

「毎日毎日飽きもせずによくできるよな」

ってなります。

つまり、「努力しているなぁ」って思ってくれるわけです。

「いやいや、スマホ見て寝っ転がってる奴が努力してるわけねぇだろうが!」

という声が聞こえてきます笑

ですけども、これは、

「スマホ見て寝っ転がってることが、一般的には自堕落しているイメージ」

だからではないでしょうか?

これが、毎日絵を描いているだったら、どうでしょう?
勉強してるならどうでしょう?

その人は他人から見て、「頑張ってるな!」ってうつるはずです。

しかしそれは、

「そのやっていることが一般的に努力しているイメージ」

だからではないですか?

で、ここで本人にスポットを当ててみます。

  • 寝っ転がってスマホ見ている人の気持ちのつよさ
  • 勉強や絵を描いている人の気持ちのつよさ

この2つ、ぼくには同じに思うのです。
ちがうでしょうか??

どちらもその瞬間、「それをしたい」という気持ちに突き動かされているんです。


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やりたいと思ってるのやれないこと

はっきり言うと、

「やりたいと思ってできないことって一杯あるんですけども、今後もそれはやらないよ」

ってことなんですね。

きっと、続けるのはめちゃくちゃ難しいと思います。

ぼくはギターの講師の経験があります。
そして、生徒の経験もあります。

講師をしている時、次のレッスンまでにギターを触れなかった方は沢山います。

「やりたいから始めたギターに触れない」

っていうおかしなことが起こるんですよね。

「やりたいから、習い始めたんでしょ」って。

でも、この気持ちはぼくもわかるんです。
ぼくも触れなかったから。

ぼくは、その時思いましたよ。

「おれダメじゃん…」って。

まったく努力できない自分に変な敗北感を感じましたね。

しかし気づきました。

同じギターの中でも宿題で出されたことはやらないけど、
自分の好きなギターであるなら何時間でもやってるって。

これ他人から見たら、ぼくは努力しているようにうつるはずです。
ぼくに、その気はないですけども。

宿題を出した講師は、それ(宿題の内容)ができますよね。
なぜそれができるのか?というと、過去に努力してきたからでしょう。

だけども、それは何度も書いているように、周りからの見た努力であり、
本人は「何かしら」を感じたからこそ、弾くことが他のどれよりも優先されたはずなのである。

何かしらというのは、おもしろさ、たのしさ、優越感、危機感、不安感等あるわけですけども。

でも、講師にはそこがすっぽ抜けてる可能性があるから、触れない生徒に対して、

「やってこいよ」

とひとこと言ってしまうのである。

だけど、生徒からすれば、

「あなたもきっと面白さを感じていないことはできないんじゃないの?」

ってなるかと思うんですね。

まぁ実際には、そう考えられる人は少なくて、自分を責めてしまう方向に行っちゃったりする。

人がもし1人でいたら、努力できないのが普通で、頑張れないのが普通なんです。

やりたいと思ってることさえ、できないってのが普通なんです。

それが既にできてるってことは、
自分をそうさせるだけの何かしらをそこに感じてるはずなんです。

  • 好きな子が振り向いてくれるかもというワクワク感
  • わからないことがわかってきた楽しさ
  • お金がもらえる

等、自分にとってのコレは、色々あるかと思います。

そういうものがなければ、
努力できないってことが当たり前のことなんだって思います。

努力はマボロシだということです。


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さいごに

さいごに、ぼくなりの努力を定義するのならば、

「自分を突き動かす何かしらを感じていないのに、それを続けられる」

これが努力できるってことだと思います。

そういう方が、いらっしゃるかもしれませんね。
そんな方に出会ったら、ぼくは素直にすごいなと感じます。

(ここに書いたことは、違うよって一蹴されますね…)

努力は自分にではなく、他人が人を評価するときに使う言葉である。

と思ってる。

ですから、落ち込む必要はないんだってことを言いたかったのです。

そして、何かしらを掴むところまでが大事であり、それがなければ、

「1日5分でいいからやろう、すると1年で…」

は不可能であり、

反対に自分にとっての何かしらを掴むことができたなら、

「1日5分でいいからやろう、すると1年で…」

なんて言ってる場合ではないのです。

おしまい

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ABOUTこの記事をかいた人

FightingDog

筆者:FightingDog 楽器:エレキ、アコースティック、ベース、DTM 過去:ギター講師(歴6年) 現在:YouTubeでギター動画をUPしております。2017年は、主に教則系の動画を沢山作っております。 近いうちにレッスン始めます。