努力をいかにしないかという話
努力というものは、もちません。
ぼくの場合はですが。
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この何年間で努力というものが、自分にはできないということがわかりました。
努力という言葉、好きでした。
なんか、ストイックでかっこいい。
20代前半辺りから、努力という言葉がずっと胸にあった気がします。
ぼくは、昔から努力できないのです。
自分にとって努力とは、
「あまり好きじゃないこと、乗り気じゃないことも継続して頑張ること」です。
これがぼくにはできなかった。
できる方は、本当に素晴らしい。
では、
「どうすれば努力できるようになるのか?」
これも、違うんです、ぼくにとっては。
ぼくには、
「いかに努力しないで良いか」
を考える必要があるんです。
自分の中で、ハッキリわかるんです。
「あ、この道に進むと努力が必要になってくるぞ」と。
そこにはいかない。
「いかに目の前の事が楽しくなるような方向に行くか?」が大事です。
しっかり見極めることや、考え方の話ですね。
同じことをやるにしても、どう向き合うかなんです。
楽しいことは努力を必要としないのです。
そして、そういったことは倍倍へと力漲り、道を作って行く。
どうすれば、楽しくなるか、自分が盛り上がるのかを考える事が大事だなと。
思い出せば、昔からそうしてきたなぁと。
努力してることって、あまり伸びなかった。
「努力してるなおれ」って、冷静だから。
そんなことを思いました。
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