快と不快がもたらすもの
好きなカフェ(コメダ)でコーヒーを飲みながら、ぼーっとしてた時にふと思ったことです。
わりと自分では、「これは発見だ!」と思ったのですが、
人によっては、「そんなことかよ」で終わる方がいても不思議ではない内容です笑
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それは、棒状のチョコレートのお菓子ってあるじゃないですか。
11月11日は、そのお菓子の日なんて言われてますね。
あの、お菓子おいしいですよね。
1本食べたら、2本目に手が出てしまう。
うーん、書いてたら食べたくなってきました。
で、思ったことなんですが。
あのお菓子は、チョコレートの付いている部分と、付いていない部分に分かれますよね。
イメージですけど、チョコ有りと無しが、4対1くらいでしょうか。
子供の頃、「これ全部チョコだったらいいな」って思ってました。
仮に全てチョコにしてしまうと、手が汚れてしまいますね。
まぁしかし、子供の僕にはそれより、「チョコを塗ってほしい!」が強かったですね。
で、最後の何もない(味のない)部分を食べては物足りなさを感じるわけですね。
そして、チョコレートの甘味を求めて次の一本に手が伸びると。
このお菓子は美味しいということを前提として書ききますが、
- チョコの部分→快
- チョコ無しの部分→不快
と仮にするなら、これは非常にうまい方法だと思ったのです。
ここに、売れ続けている原因があるのでは?と。
狙っているかはわからないのですが、僕は動画を作っているので、
すぐそういうところに絡めてしまいます笑
仮にあれが、5対0で全部チョコだった場合、美味しいし嬉しいのですが、
もしかしたら、飽きが始まるかもしれません。
「快」しかないからです。
ずっと日曜日(休み)だったら、その価値が分からなくなりますよね。
働いているからこそ、休みの日の嬉しさを感じると言いますか。
そう考えると、「チョコのない部分→不快」に目がいきます。
この一瞬の不快が飽きを防ぎ、次の一本、さらには、「もう一箱買おう」というような流れを作っているんじゃないかな?と思ったわけです。
「短いスパンで快と不快を繰り返して、おいしさの価値に食べるたびに気づかせている?」
と思ったんですね。
しかも、バランスは、4対1とうまい具合に。
不快がもう少し多ければ、そもそも売れないかもしれません。
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となると!
動画もやはり少しは不快な部分があったほうが、視聴者にとっては、結果おもしろいということになります。
全てが全てフォローしている動画となると、飽きがくる可能性もあるのかな?と。
この理論が、そもそも合っているか分からないし、動画に当てはまるかは分かりませんが笑
少しそんなことを思いました。
以前、コメントで次のようなイメージの言葉を頂いたことがありました。
「観ていて[?]と思った直後に解説がくる」
結果、分かりやすいと言っていただけたんですね。
これは、100意識してやったことではなかったのですが、今回の内容に通じるのではと思いました。
[一瞬の?が不快]で、[その直後の答えが快になる]と。
- どのように、この理論を1つの動画(あるいは動画1本単位)で使うか?
- 何が快で何が不快か?
は、ありますが、なんかヒントを得たというか確信を得たと言いますか。
実際にやるかは別として笑
と、そんな話でした 🙂
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