それが嫌いになる時と学校の勉強の意味
人はどんな時にそれが嫌いになるのか、考えていた。
まぁ、嫌いになるというか、興味がなくなったり、それから離れていく瞬間はどんな時か?
ということなのだけど。
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学校の勉強ってなぜあるんだろう?
少し前に音楽の勉強をしていて、数学をもう少しちゃんとやっておけばよかったと思った笑
音楽と数学は、けっこう関係があるものだと思っている。
で、こうやって勉強が必要になる時もあるが、ほとんど使わない知識もある。
これらをなぜ勉強するのか。
まぁ、色々な理由があると思うのですが。
ぼくは、人がそれを嫌いになったり、興味を失ったりする理由に、
『わからない』『できない』があるんじゃないのか?と思っています。
ぼく自身、わからないことに出合うと、トライはするものの、
5分持たず席から離れたくなたり、横になりたくなる。
学校の勉強を、何もかも全て一発で理解できたらどうだろう?
基本の授業に加え、音楽も、絵も、体育も部活もすべてめっちゃできたらどうだろう。
絶対に好きになるかは置いておいて、嫌いにはならないんじゃないのかな?と思うんです。
好きだったり、まぁ普通かなって状態になるんじゃないのかなと。
前も書いたと思うけど、好きこそモノの上手なれ(もあると思うけど)ではなく、
「上手だから好きになる」と思っている。
「わかるか、わからないか?」の2択とするなら、
この世のほとんど、自分の経験してきたこと以外は、
ほぼ全てがわからないこととなる。
このわからない、できないと出合った時が分かれ道で、
やめてしまうのか、粘るのか?のどちらの道を進むかで結果が変わってくる。
学校の勉強がなぜあるのか?というのは、
「分からないものに出合った時に、己の力で解決に向かうことができる技術」
をものにする為にあるんじゃないのかな?と思ったわけです。

- 自分で教科書を見る
- 友人や先生に聞く
- 塾に行く
等、どうすればこの状況を越えられるのか?という、
選択肢をあぶり出し自分で選び、結果を出すまでの過程を身につけるために、
勉強があるのかな?と思ったのでした。
ただ、そんなことは大人は一言も言わないし、子供時代にそれを聞いてもあまりピンとこないかもしれないけど。
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