楽しいから続くのではなくて、続くことには楽しい何かがある
この2つは似ていて少し違うなと思うんです。
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もちろん、「楽しいから続く」ってことはありますよね。
しかしこの場合、楽しくなくなったら続かなくなるってことじゃないかな?って思うんですね。
反対に、「続くことには楽しいが何かがある」っていうのは、
例えその物事が苦しくても、しんどくても、どこか続けていられる。
そんなイメージがあるんです。
ぼくがギターを楽しいからという理由で弾いていたとしたら、今はもう弾いていないかもしれません。
ぼくにとってギターはできることなら楽しいことでありたいですけども、
そんなことばかりではないのが現状ですね。
むしろ苦しいし、きついし、落ち込むことの方が多いです笑
「なんでやってるの?」と言いたくなりますね笑
ですけど、どこかに「楽しい何か」を感じる時があるんです。
それは、仮説を立てて検証することだったり、自分だけのオリジナルが見つかった時だったり、
粒が完璧に揃ってブォーっと弾けた時なんかは、なんだかゾクゾクしちゃいますね。
コードを押さえた時の指の感じ、ネックの感触、弦の感触、ギター自体の見た目、丸み、色、歪みやクリーンの音もそうです。
学生時代、バスケットが大好きでした。
それそのものが楽しいということはもちろんあったのですが、
シュートが入った時の「パスッ!!」「ズパッ!!」みたいな音だったり、
夜の空気の匂いだったり、ボールの感触だったり、砂だらけになったり、走る音だったりとか好きでしたね。
毎日一人練習している自分も好きでした笑
このブログもそう。
PCで書いたものを自分のスマホでいち読者となって読むのが好きなんですよね。
文だったり、イラストだったり、うまく機能したなとか、流れがうまくいったとか。
そういうのが楽しい。
今まで長く続いたことには、必ずそういう何かがあった気がします。
それが、続いている秘訣なのかなって思います。
だから、単純に楽しい、楽しくないではなくて、その物事の中にある一見関係のないようなところ。
そういうところに意識や視点を持っていくと、けっこう続いちゃうのかな?なんて思いました。
ただそれだけの話。
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