指を休めようと思います
ここ数年、ぼくは左手の中指が痛みます。
加えて、普段は中々自分の手について考えることはないのですが、明らかに動きが鈍い。
と言いますか、疲れが溜まっているなと、はっきり感じるようになりました。
グーパーグーパーと繰り返すと、右手と動きの感覚が違うんですね。
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手や指のマッサージやストレッチなんかは、気付いた時にするだけで、かなり荒い使い方をしてきたのだと思います。
ぼくは、このブログで散々、『練習』という言葉を使ってきましたが、本当は練習という言葉を使いたくない自分がいます。
もともと、練習は嫌いですしね笑
(ブログの方向性上、使わないと書けませんし。)
練習という言葉が自分から出始めたらそれは、
「ギターへの気持ちに変化が起こった」ってことだと思うんです。
思い返せば、中学、高校、その少し先辺りは、練習なんて言葉は全くありませんでした。
ただただ、楽しかった思い出しかないです。
部活はバスケットでしたが、そこで死ぬほど身体を使った後も、何時間でもギターに触れたのですから、今考えるとあり得ないなって。
それを、毎日毎日繰り返していたわけで、苦を感じていたなら、不可能なことだったと思います。
(休み時間に、友人と弁当を食べながら、ギターソロ当てクイズを延々やっていたのが懐かしいです。)
今思えば、高校生の頃はあれだけ好きだったバスケが、今で言う練習になっていたような気がします。
一度、中学生の頃だったかな?
部活を本気でやる為に、「ギターを辞める」なんて決意をしました。
その時の気持ちっていうのは、あれだけ、ぽけ〜っと生きてきた自分でも明確に覚えているんですよ。
結局、数日でギブアップしました。
再びギターを手にした時は、ネックの感触やら、弦の音が嬉しくて嬉しくて、たまらなかったように思います。
父と一緒に弾いたり、友人の家に好きな時間に行って引き倒したり。
学校から家に帰れば、コンポとアンプのボリュームを結構な大きさにして、歌って弾いたり。
(それができた環境に感謝します。)
なんだかキラキラしてましたね。
部活がキツくて目が死にかけても、ギターを持てばいつでも復活できました。
ギターがあったから、自分を「保ててた」っていうのがあります。
まぁそれが、だんだん練習というものに切り替わっていくわけですが、話が長くなってきましたね…
で、ここ数年も自分の中でギターというものは、『練習』だったんですね。
練習という言葉には、『苦』が入っているイメージですね。
ですから、弾かない日は1分も触りません。
触る気もないんですよね。
一度弾きだすと止まらないのですが。
もちろん、練習は必要なことだと思いますけどね。
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ここ数年、ぼくはある仮説を立てて練習していて、その結果を確かめる為に、毎日ずっと同じことをしていました。
反復練習をやめなかった。
このブログにも書いていたと思いますが、数年前に指はとっくに悲鳴を上げていて、やめなければいけなかったんですね。
ただ、ぼくもバカですね。
色々なことに影響されていたのもありますし、やはり弾けばそれなりに楽しさや、できないことへの執着が生まれたりします。
「やらない選択による不安」もあって、なかなか休憩するってことができませんでした。
見えない何かがあるんですよね。
それに加え、家事なんかも毎日しますから、指を酷使していたんだなって思います。
そうそう、「下手になったな」と思うと焦るんですよね。
で、休まなければいけない時に反対に弾いてしまうんですよ。
「前までできてたやろ??なんで!?」って。
指は、サボったから動かないのか、疲れたから動かないのか?
ここは見極めが必要で、熱心で真面目な人ほど?、沼にはまって壊れるまでやってしまうのかもしれませんね。
これは、こわいことです。
ぼくが真面目かはわかりませんが笑
明らかに練習内容が良くなかったかな。
指にも、ものすごく力が入っていました。
運指に違和感があるって、色々な理由でこわいです。
休憩する勇気も必要です。
ということで、やめるわけではないですが、自分の中で指を休める方向に行きたいと思います。
ぼく自身、「いつまで同じこと練習しているのだろう…」ってのも感じていましたし、
まだまだ色々なことを知りたいですし、やれるようになりたい。
それは別に、指を動かしてなくてもできることがありますし、
今やっていることを捨てることで入ってくることが必ずあるなって思ってます。
なんだか、少し楽しみですね。
ここ数年、苦行でしたから、楽しさってのを追いかけてみます。
なんて思いました。
読んでいただいた方いましたら、
長文にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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