友人の練習8時間とあなたの30分は同じ価値<主体は自分>



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8時間練習と30分練習

例えば、自分は毎日30分ギターを弾いているとする。

ある日カフェで、友人とギターの練習時間の話題になった。


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友人は言う。

「おれ、毎日8じかん練習してるけど、お前は?」

これに対して、僕がいいなと思うのは、

「おれは30分だよ。」

とちゃんと答えること。

あなたのギターを弾く時間が30分なら、30分と答えることです。

今までそんなこと、考えたこともない場合は面食らって、
答えることに戸惑ったりするかもしれない。

だけれど、やはり良いなと思う答えは、

「30分だよ。」

です。

これが、

「やべ、こいつそんなにやってんのか、じゃあおれは、6時間て言っておこう。」や、
「バカにされるかも?」

なんて思って、答えを曖昧にする。

これが、ぼくの中ではあまりいい答え方ではないんですね。

なぜか?

これは、尾を引くからです。

家に帰って1人になった時、心は動揺し、迷いが生じる。

「おれも、8時間やったほうがいいのかな?」
「30分て、少ないのかな?」

そうじゃないんです。

あなたにとって、その30分は何にも変えがたい、至福な時間だったはずなんです。
楽しい楽しい30分だったんですよ。

それが、動揺し心にブレが生じたばかりに、自分の意図とは別のところで変えてしまう。

するとどうなるか?

つまらなくなるんです。

「やったほうがいいのかな?」から、既に違和感があります。
ですが、仮に練習時間を増やしたとしましょう。

友人に合わせて、8時間に。

これ、きっと無理なんですよ、

8時間ていうと今までの16倍ですよ。

一日持つかどうかだと思います。

この一日で気づくことができればまだいいのですが、それを続けるとギターを弾くこと自体しんどくなってくる。

やめてしまう。

心が迷ったばかりに、道がそれて、無駄な落ち込みや敗北感を味わってしまうんですね。

「できないおれはダメだ…」って。

ぼくは思うんです。

友人の8時間も、あなたの30分も価値は同じなんだと。

言い換えてみれば、友人は満足するまでに8時間、あなたは30分ということです。

幸せの量は同じじゃないですか??
どちらも楽しいに変わりはないんです。

自信持ってそう答えればいい。

あと余談ですが、8時間弾いている友人も、「8時間みっちり練習しているか?」といえば、
そうではないかもですね。

本気で練習すると、1時間でも相当キツイので。

答える時は、はっきり答える。
尾を引かせない、迷わない。
練習時間が変わる時は、自分がそうしようと思ったとき。
主体は自分。
自分がそれでいいならそれでいい。
変えたいと自発的に思うなら変える。
主体は自分。

主体は自分。

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FightingDog

筆者:FightingDog 楽器:エレキ、アコースティック、ベース、DTM 過去:ギター講師(歴6年) 現在:YouTubeでギター動画をUPしております。2017年は、主に教則系の動画を沢山作っております。 近いうちにレッスン始めます。