ぼくは、雲のように”ふわふわふわ〜”と生きていくのが好きだった。
先のことを決めることが嫌だったし、日常で言えば予定とかも入れたくなかった。
そういう一切を決めず生きることに心地よさを感じていたけど、
もしかしたらそれは、ただ目の前の物事に面と向かうことを避けたかっただけなのかもしれない。
これは、けっこう最近気づいたことで、
ぼくは「漠然としていること」が苦手らしい。
上に書いていることと、反対のような感じはしますが…
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漠然としたことに出合うと、頭がヒートして逃げ出したくなるんです。
本当に面白いもので、椅子に座って2分ももたず立ち上がったりします笑
最初は立ち上がっている自分=逃げている自分にさえ気づきませんでしたが…
やらなければいけないけど、何をしたらいいかハッキリ分かっていないことからは、
とても逃げやすいことが判明しました笑
そして反対に、
漠然としたことに一手間加えてハッキリさせた時、
ものすごくそれに取りかかれる自分がいることにも気づきました。
「あ、おれできるじゃん!」って。
前にも記事に書いたのですが、人は完成したものを手にします。
または、出合ったりする。
それって言い換えると、
- シンプルなものはシンプルに
- 複雑なものは複雑に
- 分かりにくいものは、そのまま分かりにくく
受け取るということです。
そんな時は、それを少しずつ分解していく。
複雑なものは分解してパーツに分けていくと、大体理解できてきます。
複雑な文章や長い文章は、要点をまとめるだけでも違います。
ぱっと見てよく分からないことも自分の中で、
「Bくんに会ったら、このチョコ渡してね」
ぐらいにまでやっていけば、ほとんど理解できる。
新しい言葉や知らない言葉は、それだけでキツくなる原因です。
手間はかかるけど、調べて見えるところに置いておくだけでも違う。
そうそう、大体手が止まる時っていうのは、
知らない言葉が大量に出てきた時だったりもする。
知らない言葉のやる気奪いは、でかいですよ笑
本に、『視ラナ伊小と馬を使いましょう。』
なんて書かれてても、ぼくなら一発で面食らって興味を失います!!笑
あとは、知らない画像やイラストなんかもそうですね。
でも、そういう時も少しずつ少しずつ、分解していく。
すると、漠然としていたものが頭の中でハッキリするので、
- どこが問題なのか
- どこに手をつけねばならないのか
- 手順はどうか
- これをする前にこれが必要だったんだ
なんてことが理解できてくる。
その頃には、なんか嬉しくなって、その物事への興味が湧いてきて、
突破できたりするなぁっと、この歳になって分かりました。
これは、外の世界で出合った出来事にも同じことが言える。
「なんであの時イラついたんだろう」や、「違和感の正体はなんだったんだろう」等。
まぁ、何を今更かもしれませんね…
うん、あと、10年くらい早く分かりたかったですね、、
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